語楽。

私自身の経験を元に外国語学習に役立つ(?)情報をお伝えしていきます。その他、旅行や読書なども書きます。答えられる範囲であれば、リクエストにもお応えいたします。

坂野潤治・山口二郎『歴史を繰り返すな』(岩波書店)を読んで

「今(2014年現在)の日本の状況は戦前と似ている。」という言論を多く見かけるようになった。

私は1988年生まれで、もちろん1945年以前の日本を実体験したことはない。

「どのような点でこの21世紀の今日と戦前が似ているのだろうか?」

本書はそのような問いに一定の答えを与えてくれる。

「停滞や衰弱からのナショナリズム」や「反体制エリートによる支配」などがそれである。

そして、このままでは再び「戦前」に突入すると警鐘を鳴らしている。

私自身は、以前に紹介した『街場の憂国会議』と同じような内容のこと(空気を忖度することなど)が取り上げられており、「様々な人が安倍政権やこの時代について、同じ見方をしているのだな。ひょっとすると、本当に再び戦争をすることになるのだろうか。」という不安がよぎった。

戦争の可能性をゼロとするのはよくないだろう。

坂野氏が「石原慎太郎さんにしても安倍さんにしても、何か戦争ゲームって言うかな、テレビゲームをやっているつもりで考えている。」と述べているが、痛い目を見たことのない人間は、痛い目を見ないと考えを改めようとはしてくれないのかもしれない。

また、『地方消滅』にあった人口の減少についても述べられており、どのように人間的な生活ができるシステムを作るかも課題だとしている。

 

本書から得られた内容を行動に落としこむと次のようになると考える。

1.日中友好(無論、個人でできることは限られているが)

2.(政治に期待していないためやって来なかった)理想の社会を思い描くこと

3.違う意見を言い合う自由を大切にする

4.海外メディアや海外の日本研究者は安倍政権をどのように見ているかを知る

以前書いたのと同じ結論に至ったが、それゆえにより強く「やらねば!」と感じる。

戦後はこれからも戦後であってほしいと切に願う。

ロバート・B・ライシュ『暴走する資本主義』(東洋経済新報社)を読んで

「近年、投資家・消費者としての私たち(資本主義)の活動が活発になる一方、市民としての私たち(民主主義)が疑問に感じる事象が多くなってきた。これを是正するためには、私たちは市民としての責任を考え、民主主義を守ろうとすることが肝要である。」というのが、本書の大まかな内容であろう。

 

以下感想。

1.冒頭部分にアメリカの資本主義と民主主義の進展について書かれているが、

「かつてのアメリカはこんなにも「日本的」だったのか!」

と、思った。

私の中では「アメリカ=グローバル資本主義の権化」というステレオタイプ的な図式化がされていたが、かつてのアメリカでは終身雇用や年功序列的な賃金体系など、「日本的」な要素をかなり多く持っていたようである。

2.本書全体を通して、

「アメリカで起きる事象は未来の日本を見せてくれている。」

と、感じた。

高い評価を受けている本書をようやく購入したのはたまたま古本屋で見かけたからであるが、内容があまりにも現在の日本にピタリと来るのである。

この本の原書が出版された2007年(戦後最長の好況、超売り手の就職市場の時代)の段階でこれを読んでもたぶんピンと来なかったと思う。

最近、「資本主義と民主主義の対立構造」についての書籍が多く見られるようになったが、アメリカでは5年以上も前にこうした内容が出版されていたのである。

なお、筆者自身は「私たちは活気ある民主主義と力強い資本主義を同時に享受することができる」と考えている。

私もそうであってほしいと思う。

 

本書の内容から以下のような行動に繋げたいと感じた。

1.市民的立場のある自分が「問題である。」に感じたことがあれば、「消費者・投資家としての自分の行動に責任はないのか?」を考える。

2.1.で感じたことを解決するための手段を考える。関係する書籍を読むといった個人的活動から選挙、集会、デモといった政治的活動が考えられる。

 

「東京・大阪だけが日本ではない。」と言うが、「ニューヨークやハリウッドだけがアメリカではない。」

まずは報道されているレベルから「アメリカで何が起きているのか?」を知ることが、今後の日本を知ることに繋がるのではないかと思う。

内田樹編『街場の憂国会議 日本はこれからどうなるのか』(晶文社)を読んで

先日来「縮小する日本でどう生きていくか?」について考えている。

カギは「いかにして上手に負けるか」である。

 

本書は現在の政治体制の危うさとそれがもたらす危機について述べている。

もっと砕けた言い方をするなら、

安倍政権はヤバい。(もちろん悪い意味で)」

というのが、本書の伝えたい内容であると思う。

それが様々な識者から述べられている。

 

どうも安倍晋三氏、そして、日本という国は一人相撲を取っているように見える。

 

「他に目を閉ざした軍国主義への序章」などと格好をつけた言い回しをする必要はない。

「おぼっちゃまの一人相撲」だ。

他国や自己と考えを異にする人の話を聞かないような人間はどこにでもいる。

私にだってそういう面はある。

しかし、そういった人が人の上に立つ、ましてや国の舵取りができるのだろうか。

「日本は日本。他のことは知らぬ。」を貫いた結果がどうなるかは想像に難くないだろうと私は考える。

上記「おぼっちゃま」という例えは、「法制局長官の方が総理大臣より偉いのか」発言や、護憲派野中広務氏や古賀誠氏が自民党を去った後に(自分が正しいと思っているのであれば、昔から改憲を唱えていればいいにもかかわらず)、改憲案を積極的に進めたこと、あるいは「取り巻き」で固めたNHK経営委員会人事等に代表される、氏の「生まれながらのプリンスが自分の思うがままに事を操ろうとする様」によっている。

この辺りは私が述べるよりも、本書に任せたほうがいいだろう。 

 

本書から得た実行すべき行動は以下ではないだろうか。

1.国内政治に関心を持つことはもちろん、それが海外の政府やメディアにどう受け取られているかに敏感になること。

2.今後どのような時代が来るかは分からないが、間違ったことに「間違っている」と言えること。「竹槍ではB29は落とせない。」という言う勇気を持つこと。

 

本心ではこういう時代は来てほしくなかった。

本書を読むにつけ、故事「鼓腹撃壌」が脳裏によぎった。

まったく、困った政治ほど意識せざるを得ないものはないのである。

内田樹・石川康宏『若者よマルクスを読もうⅡ』(かもがわ出版)を読んで

かなり乱暴に本書をまとめると以下のようになると思う。

1.多くの国々で思想の実質的な制限がある中、日本にはそれがない。マルクス主義のような「極端」な考えの流布も可能なこの日本に住まう我々は、マルクス主義を守る使命を委ねられている(のかもしれない)。

2.成長してからのマルクスが何を考えたか。現代日本の問題をマルクスの「頭」を「借りながら」、対談形式(往復書簡含む)で述べられている。

 

私自身は、『資本論』やその他のマルクスの著作というものを読んだことがない。

興味はあるのだが、「マルクスは難解」と勝手に思っている節があった。

この本の中で深く感じ入ったのは、

1.「贈与」ではなく「収奪」が現代日本の標準になっている。

2.子どもたちが「連帯」を学ぶ機会は殆ど無い。また、「グローバル資本主義」は「連帯」を阻止する。

3.「自己責任論」の登場が「勝ち組・負け組」を生み、労働者内での対立を生み出した。

4.「同一労働同一賃金」を労働者の側が推し進めた結果、アルバイトと同じ給与しかもらえない状態に陥っている。

という、以上の箇所になる。

 

私自身が「グローバル企業」に身をおく「労働者」として生活を送っているが、「なるほどなぁ。」と納得ずくであった。

現役世代はもちろんのこと、これは次代にも大いに関わる事態である。

「次代に収奪を基本とした生活を送って欲しいか?」

私自身の答えは「否」である。

仮に「勝ち組」になっても、収奪という枠組みから抜けることは出来ず、良くても「奪う」側になるだけだろうと考えるからである。

そんなことはしてほしくないし、されてほしくない。

これからの日本経済は緩やかか急激かは別として、縮小に向かう(現に縮小している)。

この事実を直視するのであれば、取るべきアクションを「現体制を変える」か「現体制から降りる」かのふたつにひとつだと思う。

私は「降りる」方を選びたい。

理想を言えば「変える」を選びたい。

しかし、ひとりでは何も出来ない。

「降りる」人が増えることによって、「変える」ための雰囲気を作ることは可能であると考える。

「降りる」を選ぶ人はまだまだ少ない。

私も含め「体制を降りる」でも「体制を変える」でもなく「自分を降りる」「自分を変える」ことによって、なんとか生きながらえているのが現状であろうと思う。

模索に模索を重ねて実行した「降りる」が失敗に終わるかもしれない。

しかし「降り」なければ未来はない。

「降りる」方法であるが、具体的には「共同体的な集団に属する」ことが必要になるのではないかと思う。

先の『地方消滅』を読んで感じた人口問題による「地方移住」と併せて具体的な行動を考えていきたいと思う。

増田寛也編著『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』(中公新書)を読んで

書店に立ち寄った際に平積みだったので、手に取った。

要旨はおそらく以下のようになる。

1.東京への人口一極集中がしばらく続くが、供給源である地方の人口は減り続けるので、いずれ東京の人口も減少に転じる。

2.子供を持ちたいと考える若年者は多いので、その障害を取り除くことが肝要である。

3.人口は確実に減少する。しかし、人口急減社会や人口極点社会は避けなければならない。いわば、「上手く負ける」ことが求められる。

上記の3点について、データ、市町村の取り組みなどを挙げながら解説・対談している。

 

以下は「地方移住」に関して私個人が気になったこと、感じたことである。

現在、私はサラリーマンとして横浜市で生活しているが、今後どのような人生を歩むかという観点から、「地方移住」も視野に入れている。

以前は地方移住といえば、農林水産業関係への従事を意味していたので、私にとってはハードルが高かった。

しかし、現在ではニセコを抱える北海道の倶知安町のように外国人観光客の誘致に力を入れているところもあり、第一次産業従事でもなく、またいつ撤退するかも知れぬロードサイドの店舗で働くわけでもない働き方が可能となってきているようだ。

また、将来的に結婚したいと考えているので、「子育てのしやすさ」を考えると地方に軍配が上がる。

「職さえあれば、田舎で暮らしたい。」という考えは持っていたが、「職に見合った能力を身に付ける」というよりも、「身に付けた能力を活かせる場所を地方に見出す」という方が現実の選択肢としては正しいのかもしれない。

ここから取るべきアクションは以下であろう。

1.気になった地方自治体について、ウェブ・書籍等で詳細に調べる。

2.その自治体へ赴き、実際の「空気」を体感する。そこで、その自治体が抱える問題(=こちらが提供できる解決策)が何であるかを理解する。

3.1と2を繰り返して、出来たプランと現状を比較する。

以上が現実的な、地に足の着いたプランだと考える。

日本人は1億以上いるのだから同じことを考えるのは私だけでは無いと思う。この1を行う際に、現状ほとんど無名だが、ポテンシャルのある(ex.外国人観光客が増えつつある)自治体を探すことが肝要になるのではないかと思う。

 

この著書から読み取った内容を元に、私なりに練ったアクションプランは以上である。

クリックひとつで何でも買える時代において、都市部に住むインセンティブはそれほど多くないように思う。

地方、それも「田舎」と呼ばれる地域への移住も真剣に検討されるべきなのかもしれない。

最後に本書対談に登場する藻谷浩介氏(『里山資本主義』の著者)の言を引用したい。

「国民にも発送の転換が必要なのではないでしょうか。(中略)子孫も残せず、消費されるだけの一生よりも、田舎に行って年収二〇〇万円ぐらいで農業をやっているほうが、よほど幸せだと思うのです。ところがそれをやると、”都落ち”的な視線に晒される。そうした風潮は、あるべき人口移動の妨げになります。」

音読の効用 テキスト編その2

さて、音読の効用は実際にあるのだろうか。

私が音読に期待したのは「教科書の内容を覚える」ことである。

実際どうだったのだろうか。

結論から言うと「最終的には◯になるだろうが、現状は△である。」という状態だ。

詳細には以下の3点。

①音読により、教科書の章立てが徐々に刷り込まれ、その結果工業簿記・原価計算の「大きな流れ」がある程度わかるようになった。

②「大きな流れ」がある程度わかったのであるから、この「大きな流れ」の記憶を強固にし、さらにこの流れの詳細を覚えていけばよい、という目処が立った。

③音読はテキスト一冊につき、数十分、かかったとしても一時間。なので、「これくらいの分量なら頑張れそうだ。全部覚えてやるぞ!」という意欲が出てきた。

以上である。

この「大きな流れ」の記憶はあくまでも記憶でしかない。

これを紙に描いてイメージ化してみれば、さらに強固な記憶になると感じた。

問題演習と並行して、音読も続けていきたい。

機会を見て、問題集の音読についても触れたいと思う。

音読の効用 テキスト編その1

「音読が勉強や脳にいかによい影響を与えるか。」というのはここで言っても仕方がないので、ここでは私が簿記の学習にどう活かしているかを紹介したい。

まず、テキストの音読。

これは多くの人がやっていることだと思う。

特に企業会計原則や原価計算基準などの諸規則は声に出して読む方が多いだろう。

私はテキストを音読する際は、以下に注意して行っている。

①テキストの重要度ランクに従う。

②テキストの順序通りでない読み方をすることもある。

③覚えることを意識して読む。

④夜に読んで、朝に読む。

⑤テキストを覚えるのは大切だが、暗記が目的ではないことを意識する。

①はランク付けが5段階であれば4以上、3段階であれば2以上の箇所を読む。

重要度の低い箇所も大切ではあるのだが、時間は限られているし、音読は予想以上に疲れる。

また、仮に時間に余裕があり、重要度の低い箇所まで勉強の手を伸ばせるのであれば、そのときも重要度の高い箇所がきっかけとなり、覚えやすい。

②は逆説的かも知れないが、「順序を崩すことで順序を意識することができる」方法だと考えている。

特に、工業簿記・原価計算は「自分が今どこを勉強しているか。」を意識することが求められる。

そこで意図的に順序を崩すことで、「あ、このA分野は、あのB分野との関連が高いのか。」と意識させるのである。

単純にマンネリ化防止の意味もある。

③は簿記の勉強では意外と意識されていない。

語学の勉強であれば、教科書の暗記はある程度受け入れられるのだが、簿記や数学の勉強となると「教科書は覚えても意味が無い」という考えに陥る。

私も「問題が解けるようにならないと意味が無いので、教科書はサラッと流す程度に。」という考えを持ちながら2級までは勉強してきた。

しかし、巡り巡って、「教科書の内容を覚えていないと、手も足も出ない。仮に問題が解けたとしても、実務の基礎にはならない。」という結論に達した。

2級までは「サラッと読む」だけで、理解できたが、ここに来て「サラッと読む」では理解が追いつかない状態になったのかもしれない。

④は記憶を助けるための方法であり、テキストの音読以外にも効果がある。

⑤は③と真反対のことを言っているようだが、「結局、試験に合格しなければ何の意味もない」のである。

何時間音読に費やしても、問題が解けなければ意味は無い。

さらに言えば、全く勉強しなくても、合格できればそれでいいのである。

「実際の問題ではどう出るだろう?」と考えてみたり、「あ、これはあの問題で出たな。解説を読んでも不明瞭だったが、こういうことだったのか!」という読み方ができれば最高だと思う。

以上、テキスト音読の際に気を付けている点を挙げてみた。

次回は実際に音読してみて感じた効果について述べてみたいと思う。