内田樹・石川康宏『若者よマルクスを読もうⅡ』(かもがわ出版)を読んで
かなり乱暴に本書をまとめると以下のようになると思う。
1.多くの国々で思想の実質的な制限がある中、日本にはそれがない。マルクス主義のような「極端」な考えの流布も可能なこの日本に住まう我々は、マルクス主義を守る使命を委ねられている(のかもしれない)。
2.成長してからのマルクスが何を考えたか。現代日本の問題をマルクスの「頭」を「借りながら」、対談形式(往復書簡含む)で述べられている。
私自身は、『資本論』やその他のマルクスの著作というものを読んだことがない。
興味はあるのだが、「マルクスは難解」と勝手に思っている節があった。
この本の中で深く感じ入ったのは、
1.「贈与」ではなく「収奪」が現代日本の標準になっている。
2.子どもたちが「連帯」を学ぶ機会は殆ど無い。また、「グローバル資本主義」は「連帯」を阻止する。
3.「自己責任論」の登場が「勝ち組・負け組」を生み、労働者内での対立を生み出した。
4.「同一労働同一賃金」を労働者の側が推し進めた結果、アルバイトと同じ給与しかもらえない状態に陥っている。
という、以上の箇所になる。
私自身が「グローバル企業」に身をおく「労働者」として生活を送っているが、「なるほどなぁ。」と納得ずくであった。
現役世代はもちろんのこと、これは次代にも大いに関わる事態である。
「次代に収奪を基本とした生活を送って欲しいか?」
私自身の答えは「否」である。
仮に「勝ち組」になっても、収奪という枠組みから抜けることは出来ず、良くても「奪う」側になるだけだろうと考えるからである。
そんなことはしてほしくないし、されてほしくない。
これからの日本経済は緩やかか急激かは別として、縮小に向かう(現に縮小している)。
この事実を直視するのであれば、取るべきアクションを「現体制を変える」か「現体制から降りる」かのふたつにひとつだと思う。
私は「降りる」方を選びたい。
理想を言えば「変える」を選びたい。
しかし、ひとりでは何も出来ない。
「降りる」人が増えることによって、「変える」ための雰囲気を作ることは可能であると考える。
「降りる」を選ぶ人はまだまだ少ない。
私も含め「体制を降りる」でも「体制を変える」でもなく「自分を降りる」「自分を変える」ことによって、なんとか生きながらえているのが現状であろうと思う。
模索に模索を重ねて実行した「降りる」が失敗に終わるかもしれない。
しかし「降り」なければ未来はない。
「降りる」方法であるが、具体的には「共同体的な集団に属する」ことが必要になるのではないかと思う。
先の『地方消滅』を読んで感じた人口問題による「地方移住」と併せて具体的な行動を考えていきたいと思う。