語楽。

私自身の経験を元に外国語学習に役立つ(?)情報をお伝えしていきます。その他、旅行や読書なども書きます。答えられる範囲であれば、リクエストにもお応えいたします。

昔の成功者は現代でも成功できるのか?

よく「今は昔と違う。過去に成功した人は現代では成功できない。」という言を目にする。

特に若い人の間から聞かれる。

本当にそうだろうか。

こういう書き方をしているくらいだから、私が「違う。」と考えているのは想像に難くないだろう。

では、なぜ違うのだろうか?

なぜ、私は昔の成功者は今でも成功できると考えるのか?

基本的に成功や成果は次の2つの要素からできていると私は考える。

①正しいやり方

②①を続けること(熱意ややる気と言ってもいい)

実にシンプルだ。

①については、現代の方が圧倒的に有利だと思う。

医学の発達、運動や健康に関する知識の普及、正しい「暗記」の仕方など。

効率的に効果を上げる方法は研究され、様々な形で実証されている。

②については、ここがキーになるのだが、昔の人の方が圧倒的に持ち合わせている。

「生きよう」というエネルギーが私たちとは全く違う。

これだけ言っても「社会情勢が違う。」という反論がある。

これに関しては時代によって一長一短である。

どの時代がいいとも悪いとも言えない。

例えば、「受験人口が恐ろしく多い。」「今日食べるものを得ることができるだろうか?」という不安は、今日ではまるで(少なくともSNSで不満を書くだけの余裕がある人には)考えられないものだろう。

結局、成功するか否かは「熱意」や「やる気」、そして「根性」などという「古めかしい」考え方に尽きるのである。

別に野口英世松下幸之助を引っ張りだす必要はない。

スティーブ・ジョブズでも、マーク・ザッカーバーグでもいい。

みな「熱意」に駆られ寝食を忘れるくらいに、没頭できることにできた人たちだ。

最初のテーマに戻るなら「昔の成功者が歳を取ってくれていてよかった。若いままだったら、私たちの成功も持って行ってしまう。」というのがオチなのである。

…しかし、これは大きな大きなチャンスなのだ。

なぜか?

成功の基本要素は何だっただろうか?

①正しいやり方

②①を続けること

である。

つまり、エネルギー全開で②を発揮さえできれば、現状に不満を持つばかりで行動を起こそうとしない人々が多い中、抜きん出た存在になることが容易であると考えられる。

成功するのか、成功しないのかは、自己に起因する。

まだ、昔の方が周囲のせいにする余地はあったかもしれない。

『この「成功の時代」、成功できなくて何になる!』くらいの気持ちで生きていきたい。

登山勉強法とパラシュート勉強法

資格や試験のみならず、研究開発まで、勉強というのは基本的には「積み上げていく」ものだ。

ちょうど、山を一歩一歩踏みしめて頂上を目指す登山のようなものだ。

数の数え方から始まる算数、ひらがなの読み書きから始まる国語。

理科や社会科も「身近なもの」からスタートする。

簿記の試験も3級から始まり、2級、1級と取得する人がほとんどだろう。

また、それぞれの級の勉強も「テキスト→問題集→過去問→模試」という勉強の仕方が基本だと思う。

この方法は何も間違っていないと思う。

私自身もこのやり方でいろいろな勉強をやってきた。

しかし、勉強方法というのはこの他にもあるらしい。

それが「パラシュート勉強法」だ。

つまり、「積み上げるのではなく、いきなり目的地へ着地してしまう」勉強方法だ。

「邪道だ!」とか「そんなことできるの?」と言った声が聞こえてきそうだが、効率はかなりいいようだ。

簿記でいうなれば「まず、過去問を解き、本番の感触を掴み、その上でテキストを読む。既に過去問を知っているので、テキストの知識がどういう風に試験に出るかもイメージしやすい。」ということだ。

しかし、この「パラシュート勉強法」にも、一定線の基礎知識は必要である。

知識ゼロの人がいきなり過去問を解くのは、いきなりサバンナやジャングルに放り込まれるようなものだ。

「曲がりなりにも一度は勉強したことのある分野への再挑戦」に向く勉強方法であると個人的には考えている。

いずれにしても、継続に優る「必勝法」はないのだから、目的地まで歩き続けるという点では、「登山」も「パラシュート」も同じなのである。

くりかえしくりかえし、行ったり来たり、3歩進んで2歩下がる…

私は飽きっぽいのか、同じ勉強をやっては止めやっては止めを繰り返している。

「なんとなく始める1回目」、「熱意を帯びた2回目」、「切羽詰まった3回目」とでもいうのだろうか。

要は「やろう!」という度合いが違うのである。

そして、それに比例して理解度も違ってくるようである。

元々「なんとなく」でも一度は学習しているので、「やろう!」「やらねば!」度の高い2回目以降の理解は半年や1年程度のブランクなら飛び越えてしまうようである。

「応用」や「難易度C」などと記されている問題が初見(1回目に解いたかもしれないが忘れている)で解けることもある。

そうした体験は純粋に嬉しいし、純粋だからこそ学習意欲の増進につながる。

そうなればもうこっちのものである。

「継続は力なり」

こんな息の長い「継続」にも大きな「力」が宿っているようだ。

糖質制限ダイエットとは

「痩せたい!」という願望を抱く人は多い。

また、「痩せたい!」と思う人を冷ややかな目で見る人でも「健康でありたい!」と思うことに関しては異論がないはずである。

そして、同時に「ラクをしたい!」とも考えるのだから、まぁ、人間とは勝手なものである。

しかし、そんな「ぐうたら人間」に打ってつけのダイエット本が2013年の秋に発売された。

それが夏井睦『炭水化物が人類を滅ぼす』(光文社新書)だ。

炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 (光文社新書)

炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 (光文社新書)

 

 詳しくは本書を読んでいただきたいのだが、平たく言うと「糖、そして、体内で糖になる、米、小麦、といった炭水化物の摂取は控えましょう」というのが本書の提言である。

気になる効果のほどはどうだろうか?

本書購入後しばらくの間試したのだが、確かに効果はあった。

ベルトの穴が緩くなり、気分もすっきりした。

ただ、本書にもある「糖質の魔力」のようなものに抗うことができずに、元の木阿弥になってしまった。

そして、今。

夏を前に、再び、糖質制限によるダイエットを始めようとしている。

「5kgほど体重を落としたい。」というのが私の目標である。

大学生の勉強スタイルと社会人の勉強スタイル

「いや、勉強していなかったんですが…」という声も聞こえてきそうである。

大学生の勉強と社会人のそれとを大きく分けるのは「時間」ではないかと考えている。

大学生のうちは「1日1時間ずつ」や「考えぬく」といった勉強ができる得難い期間で有ると思う。

それに対して、社会人は「できるときにまとめて」や「効率的に」といった概念が支配的である。

これは素人の投資家が時間を味方にした長期的な投資プランを実行できるのに対して、プロの投資家がサラリーマンであるがゆえに半年や1年といった短期的に成果の上がるプランしか採れないことと似ている。

「どちらがいい。」というよりは「こういった場合にはこういった勉強スタイルが採れる。でも、他にもスタイルがあるんだよ。」と理解することが大切だと思う。

いずれの場合もゴールを目指して進み続けることに変わりはない。

ただ、走るのが好きな人もいれば歩くのが好きな人もいるということである。

勉強は復習、人生は予習。

「試験勉強=忘れないようにする=復習」は鉄則であり、半ば常識である(できるかどうかは当人の意志によるが…)。

転じて、人生は予習だと感じることが多い。

「どんなに準備しても対応できない。」というのはもっともである。

しかし、そういう場合、「準備はしたがどうしようもなかった。だが、まったく準備していなければ、もっとヒドいことになっていただろう。」というのが大方で、準備=予習を否定するものでは無いと考える。

「死ぬまでにどれほどのお金がかかるのか?」

「どういう葬儀屋がいいのか?」

「家を選ぶポイントは?」

などなど。

嘘や紛らわしい情報も多いが、先達が残してくれた情報はゼロではない。

そこから学び、備えること、それこそが人生を楽しく歩んでいく「コツ」ではないだろうか。

利用できるものは利用し、先達よりも良い人生が歩めるようにしたいものだ。

苦しくなったら復習

新しいことを学習するのが苦痛に感じることがある。

よくある。

そんな時はすかさず復習をする。

今までやったところを思い出すことに注力すればいいから、新しい内容を学習するより負担は少ない。

せっかく勉強したところなのに、忘れてしまってはまたゼロから学習を始めることになる。

そうなる前に復習。

問題を見て解法を思い出す、解説を熟読する。

あるいは、テキストの該当箇所を読む。

「(少なくとも)試験までの間は忘れない」ことが目的なのだから、こういうやり方が結局はゴールへの近道なのかもしれない。