地味な「作業」の繰り返し 外国語が身につくまで
外国語ができる。
今でこそ就職活動を控えた大学生ともなれば通過儀礼のようにTOEICを受験するが、私が子供だった頃にはそこまで外国語に関してその必要性が喧伝されていた記憶はない。
英会話教室がCMに入れ始めたあたりの時代である。
私自身は外国語ができる人は「特殊な」人間だと思っていた。
現在の私は英語を使って業務を行うことが多いので、ある程度には英語は使えるものだと自負している。
なぜ「外国語は特殊能力だ。」と思っていた私が英語を使えるようになったのか?
答えは簡単で、単語、文法、音声をある程度身に付けたからだ。
どうやって身に付けたのか?
単語帳を暗記し、文法練習を繰り返し、音声教材でディクテーションしたからである。
「なーんだ。」とがっかりされる方も多いだろうが、「学問に王道なし」である。
単純な、そう本当に単純な「作業」の繰り返しであったと思う。
この単純な作業に飽きて放棄してしまえばそれまで。
続けていれば力になる。
私は数学はめっきり苦手だったので、断定はできないが、数学でも同じだと思う。
私にとって数学は「ひらめき」とか「地頭」のような言葉がついて回る学問だが、本質は語学と同じで、基本的な事項を身に付けているかどうかなのだと思う。
そして、その基本的事項をマスターするためには、地味な「作業」があるのだと思う。
私は数学に関しては、その「作業」を放棄してしまったか、「作業」の継続期間が短かかった。
飽きるか否か。
必要性に迫られているか否か。
好きか否か。
いずれにせよ、何事も「為せば成る 為さねば成らぬ」なのだ。