池谷孝司『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』(幻冬舎)を読んで
まず、こういう書籍が出版されるようになったことは歓迎すべきではないかと思います。
とかく、性の問題は「タブー」とされがちでしたが、少しずつ状況は変わり始めているのだと思います。
共同通信のジャーナリストである著者が、大阪に拠点を置く「スクール・セクシュアル・ハラスメント防止全国ネットワーク」(SSHP)の協力の下、そこに寄せられた具体的な相談事例を発端から当該事例に関わった教師が処分されるまでを克明に描いています。
本書によれば、こうした事例がなかなか社会に出てこなかった理由はだいたい以下のようだそうです。
①相手が教師という「特別権力」を持つ人間であるために、教師を相手にすると分が悪いから。
②仮に教師を相手取ったところで、「あの先生はそんなことはしない。」などと、理解を得られないことが多いから。また、酷い場合はセクハラされた側が、攻撃されるという「二次被害」もありうるから。
③(地域にもよるが)教育委員会が表沙汰にしたくないと考えているから。これは学校の「看板」や「集客力」に影響するから。私学であればなおのこと。
また、なぜこうした「セクハラ」が起きてしまうのかは、以下のように説明しています。
①教師が自分の持つ「特別権力」に気づいておらず、生徒を生徒としてではなく、一人の人間として見てしまうから。
②指導目的であれば、「体罰・讒言による指導は正当である」という、「常識」が一部共有されているから。(体罰に関しては桜宮高校の一件以来、社会全体の目が今まで以上に厳しくはなった)
③民間企業や大学では過去のものとなった「そのくらいのこと」と軽く済ませようとする人が未だ散見されるから。
ここで断っておくと、本書も述べているように、多くの教師は非常に職務に忠実で素晴らしい先生だということです。
私自身が関わった先生方も、みなさん非常によい先生だったと感じております。
結局、問題が起きる原因を突き詰めると、一般社会と学校とのギャップではないかと思います。
「我が家の常識、世間の非常識」といえばいいのでしょうか、以下の本文が端的に状況を表していると思います。
「(セクハラ教師の「教師もただの一人の人間なんだな」という言を受けて、著者)教師が『ただの人間』じゃ困るわけですよね。今の話を全国の子どもたちや親が聞いたら『いや、ただの人間に教えてもらっているつもりはないんですけど、そう思って付き合わないといけないんですか』って言うと思いますが、違いますか?」
本書の内容を私自身の生活に活かすのであれば、
「私がやっていること(職務・私生活)は、常識や世間あるいは法に照らすとどういう評価を受けるのだろうか。」
ということを意識することだと思いました。
女子小学生・中学生向けの雑誌にSSHPのことが掲載された際には、多くの相談が寄せられたといいます。
これらの「セクハラ」は、決して「一部の教師」による「例外的な行為」などではないということです。
スクールライフを送る生徒やその親のみならず、教職員にこそ読んでもらいたい一冊であると感じました。