外国語学習の王道 入門期の学習について
一から新しく外国語を学習する場合、ある程度お定まりの踏むべきステップがあるのではないかと私は考えます。
大雑把に申しますと以下のような形になります。
入門
↓
初級
「基礎レベル」と言われる文法と単語の習得
目安は語学試験(日本の団体が主催)の下から2番目か、もう一つ上レベルの合格
↓
中級
定評のある教材を使って学習
シャドウイング、ディクテーション、音読を取り入れる
学習目的の再確認
時々、生教材にも触れる
当該言語の「母国」の団体が実施する試験の中か上の下レベルの試験に合格
↓
上級
目的に応じてメリハリを付ける
生教材を理解できるようになる
「資格試験」や「勉強らしい勉強」からの離脱
今回は入門期の学習の仕方について、少し触れたいと思います。
私自身の体験ですが、みなさんの参考になればと思います。
入門期で肝要なのは、何を置いても「続けること」ではないかと思います。
よく「参考書は難しすぎても、簡単すぎてもダメ」と言われますが、この段階では対象言語に対する知識は全くゼロの状態ですので、「簡単でいいから続けられる教材」を最優先します。
入門教材をやりきって「おお!オレにも出来た!」という感覚を味わって、次のステップに繋げられれば、入門は成功です。
さて、その入門教材ですが、何を選びましょうか。
ざっと思いつく限りで、以下が長所であると思います。
- 教材の入手が容易
- 実績ある講師陣による堅実な内容
- 他の教材や辞書が不要
- 発音から始まり、会話調の文章を通して、対象言語の基礎を学ぶことができる
- 書籍での学習で忘れられることの多い、音声を介した学習ができる
- 「応用」「発展」等を謳っていない限りは飛び抜けてレベルが上がることはないので、「わかるから続く、続くからわかる」の好循環が築ける
NHKのラジオ講座に関して言うと、非の打ち所はないと私自身は感じています。
この非の打ち所のない教材を学習する際に、以下に気をつけて学習することが大切だと考えます。
- スキットを完全に覚える
- CDを買う
周囲の外国語学習者から
「ラジオ講座レベルだとなんとかなるが、それ以上になると途端に分からなくなる。」
という感想を耳にします。
これは入門から初級へのギャップに苦しんでいるからだと思います。
NHKのラジオ講座は、「お、思ったよりも簡単だな。」と感じている人が多いように思います。
そんなラジオ講座のレベルを「易しい」と感じているからこそ、その他の教材の「難しさ」に圧倒され、その言語の習得を諦めてしまうようです。
この状態を打破するために、私は「スキットの丸暗記」をオススメします。
この「丸暗記」こそが、入門と初級をつなぐ「はしご」であると考えています。
この段階では文法用語や品詞の性など細かいところにはこだわらずに、
「テキストにこう書いてあるから、こうなんだ。」
と割りきって覚えることが大切です。
こうして、割りきって覚えておくと、初級に差し掛かった時に、
「あ、これは6月号のスキットに書いてあったあの文章と構造が同じだ。」
思えるようになります。
では、どうすれば「スキットの丸暗記」ができるのでしょうか。
大変ベタな方法ではありますが、「スキットを繰り返し聴いて、繰り返し音読する」しかないと思います。
「CDを買う」のはそのためです。
テキストが300円程度なのに比べると、CDの価格は非常に高く感じられます。
しかし、ここはお金の出しどころです。
万単位のお金を払って留学しても、その言語を習得できる保証は何もないのですから、数千円程度は笑って払いましょう。
半年分買っても一万円に満たない金額です。
もちろん、ラジオ講座を録音し、容易に必要な部分を再生できる環境にあれば、CDの購入は不要です。
国交回復やWebを含む技術の進歩により、数十年前に比べて、ネイティブスピーカーによる外国語発話に触れることが格段に容易になりました。
現代を生きる私たちがそうした「時代の恩恵」を受けない手はないと思います。
話が少し大きくなりましたが、以上が入門期の「王道」であると考えています。
言語は生モノですので、多少の「寄り道」もあるかもしれません。
私自身、「寄り道」することは多いですが、常に「王道」は意識しておきたいと思います。
次回は初級の学習について触れたいと思います。
外国語学習のお役立ちサイト 国際語学社-世界のことばライブラリー
KGのマークでお馴染みの「国際語学社」さんが素晴らしいサイトを開設されています。
その名も「世界のことばライブラリー」。
世界のことばライブラリー 【語学系音声ファイルの無料ダウンロードサイト】
上記の説明通り、関連する参考書の音声を無料で提供されています。
英語や中国語はもちろんのこと、ラテン語やエスペラント語の音声教材も用意されています。
使い方は人それぞれでしょうが、上手く使えばいい結果が得られるのではないでしょうか。
池谷孝司『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』(幻冬舎)を読んで
まず、こういう書籍が出版されるようになったことは歓迎すべきではないかと思います。
とかく、性の問題は「タブー」とされがちでしたが、少しずつ状況は変わり始めているのだと思います。
共同通信のジャーナリストである著者が、大阪に拠点を置く「スクール・セクシュアル・ハラスメント防止全国ネットワーク」(SSHP)の協力の下、そこに寄せられた具体的な相談事例を発端から当該事例に関わった教師が処分されるまでを克明に描いています。
本書によれば、こうした事例がなかなか社会に出てこなかった理由はだいたい以下のようだそうです。
①相手が教師という「特別権力」を持つ人間であるために、教師を相手にすると分が悪いから。
②仮に教師を相手取ったところで、「あの先生はそんなことはしない。」などと、理解を得られないことが多いから。また、酷い場合はセクハラされた側が、攻撃されるという「二次被害」もありうるから。
③(地域にもよるが)教育委員会が表沙汰にしたくないと考えているから。これは学校の「看板」や「集客力」に影響するから。私学であればなおのこと。
また、なぜこうした「セクハラ」が起きてしまうのかは、以下のように説明しています。
①教師が自分の持つ「特別権力」に気づいておらず、生徒を生徒としてではなく、一人の人間として見てしまうから。
②指導目的であれば、「体罰・讒言による指導は正当である」という、「常識」が一部共有されているから。(体罰に関しては桜宮高校の一件以来、社会全体の目が今まで以上に厳しくはなった)
③民間企業や大学では過去のものとなった「そのくらいのこと」と軽く済ませようとする人が未だ散見されるから。
ここで断っておくと、本書も述べているように、多くの教師は非常に職務に忠実で素晴らしい先生だということです。
私自身が関わった先生方も、みなさん非常によい先生だったと感じております。
結局、問題が起きる原因を突き詰めると、一般社会と学校とのギャップではないかと思います。
「我が家の常識、世間の非常識」といえばいいのでしょうか、以下の本文が端的に状況を表していると思います。
「(セクハラ教師の「教師もただの一人の人間なんだな」という言を受けて、著者)教師が『ただの人間』じゃ困るわけですよね。今の話を全国の子どもたちや親が聞いたら『いや、ただの人間に教えてもらっているつもりはないんですけど、そう思って付き合わないといけないんですか』って言うと思いますが、違いますか?」
本書の内容を私自身の生活に活かすのであれば、
「私がやっていること(職務・私生活)は、常識や世間あるいは法に照らすとどういう評価を受けるのだろうか。」
ということを意識することだと思いました。
女子小学生・中学生向けの雑誌にSSHPのことが掲載された際には、多くの相談が寄せられたといいます。
これらの「セクハラ」は、決して「一部の教師」による「例外的な行為」などではないということです。
スクールライフを送る生徒やその親のみならず、教職員にこそ読んでもらいたい一冊であると感じました。
数学と仕事
社会人になってつくづく思うのは、
「もう少し数学を真面目に勉強しておけばよかったかな。」
ということである。
とはいえ、それは線形代数がわかるとか、幾何学の公式をひとつでも多く覚えるとかいったことではない。
では数学の何を学ぶのか?
それは「与えられた材料から、答えに至るプロセスを明瞭にする技術・考え方」である。
実はこれは他の学問分野にも共通することなのだが、私自身はそのことに最近になるまで気が付かなかった。
さて、この「数学の考え方」が仕事にどう役立つのか?
以下のような点ではないかと私は思う。
①結論に至ったプロセスを他者に説明する際に役立つ
②プロセスは更に細かくステップに分割できるが、プロセスが間違っている場合(ほとんどの場合は間違う)、プロセスやステップが明瞭であれば、指摘を受け、軌道修正を図ることが容易である。
③数学の問題では所与から結論を導くが、「今、こういう状況下にあるが、このまま行くと将来どうなるだろうか?ここの条件を少し変えるとどうなるだろうか?」といった、将来予測を立てる指針になりうる。
学生には学生の、サラリーマンにはサラリーマンの数学とのつきあいかたがあると思う。
もう一度、数学を見直してみたいと思う。
90点を100点にするのは難しいが… 好きなことを勉強するメリット
「初学者を100点満点のテスト50点、60点レベルになるのはさほど時間はかからないが、80点取れる人を90点レベルへ、90点取れる人を100点へ導くのは難しい。」
「普段全く運動しない人が100m走の練習をするとメキメキと上達するが、世界記録保持者が自己記録を更新するのは難しい。」
これは広く信じられていることだし、私自身もそうだと思う。
ただ、これには続きがある。
「90点取れる人を100点へ導くのは難しい。しかし、90点取れる人の多くは、90点を100点にする努力は惜しまないだろう。」
ドラッカーはこのことを以下のように述べている。
「不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである。無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする。」
強みの強化も弱点の補強もやることは同じで、勉強や経験の積み重ねである。
しかし、強みの場合はその人の誇りや存在意義と強みがイコールになっていることも多く、強みによって認められたいと考える人は多いだろうと思う。
その「認められたい」という感情は強い原動力になる。
「強みをもっと強くしよう!」「好きだからこそ強みになった。」「できるから楽しい、楽しいから続く、続くからできる。」
好きなこと、できることの方が、さらなる高みを目指すのによいのかもしれない。
地味な「作業」の繰り返し 外国語が身につくまで
外国語ができる。
今でこそ就職活動を控えた大学生ともなれば通過儀礼のようにTOEICを受験するが、私が子供だった頃にはそこまで外国語に関してその必要性が喧伝されていた記憶はない。
英会話教室がCMに入れ始めたあたりの時代である。
私自身は外国語ができる人は「特殊な」人間だと思っていた。
現在の私は英語を使って業務を行うことが多いので、ある程度には英語は使えるものだと自負している。
なぜ「外国語は特殊能力だ。」と思っていた私が英語を使えるようになったのか?
答えは簡単で、単語、文法、音声をある程度身に付けたからだ。
どうやって身に付けたのか?
単語帳を暗記し、文法練習を繰り返し、音声教材でディクテーションしたからである。
「なーんだ。」とがっかりされる方も多いだろうが、「学問に王道なし」である。
単純な、そう本当に単純な「作業」の繰り返しであったと思う。
この単純な作業に飽きて放棄してしまえばそれまで。
続けていれば力になる。
私は数学はめっきり苦手だったので、断定はできないが、数学でも同じだと思う。
私にとって数学は「ひらめき」とか「地頭」のような言葉がついて回る学問だが、本質は語学と同じで、基本的な事項を身に付けているかどうかなのだと思う。
そして、その基本的事項をマスターするためには、地味な「作業」があるのだと思う。
私は数学に関しては、その「作業」を放棄してしまったか、「作業」の継続期間が短かかった。
飽きるか否か。
必要性に迫られているか否か。
好きか否か。
いずれにせよ、何事も「為せば成る 為さねば成らぬ」なのだ。
「中国語 発音よければ 半ばよし」 発音を鍛えて中国人よりも綺麗な発音を身に付ける
中国語の勉強を始めたのは、2009年の冬からになる。
あれから5年ほど経つが振り返って考えると、
「最初に発音を鍛えておいて本当によかった。」
と思う。
私が発音重視の学習を行ったのは、中国語教育の権威である相原茂氏が掲げている
「中国語 発音よければ 半ばよし」
という標語の影響を受けたからである。
具体的には以下の方法を採った。
1.テキストの課文を滞らず読めるようになるまで、音声教材を聴きながら読む(シャドーイング)
2.文法学習の際には、漢字ではなくピンインで文章を書く(学習開始時)
3.パソコンやタブレットでピンイン入力による漢字表記ができるようにする(現在)
概ね以上のようになる。
現在も文法や単語の学習よりも、発音や聴解といった音の学習に力を入れている。
私自身が中国へ行った際にひとつ気づいたことがある。
「日本人は中国人より中国語(普通話)が綺麗にしゃべれる可能性がある。」
ということである。
これはなぜか。
日本人が日常的に中国語に触れているかと言われれば、答えは否である。
発音を教えてくれる「先生」はラジオ講座・CD・動画サイトなどの音声教材になる。
つまり、私たちは「正しくて綺麗な中国語(普通話)のみを聞いて学習すること」を「強いられる」のである。
こういう境遇であるから、音声教材に続いて繰り返し繰り返し発音していれば、自然と正しい発音が身に付けられるし、方言や訛りの影響を受けることは皆無である。
これは英語を考えればよくわかる。
インド英語やオーストラリア英語の独特の訛りを出すまでもなく、日本語になった英語を考えていただければいい。
「イングリッシュ」と「English」は音が違うが、日本人は「イングリッシュ」という音に慣れているため、「English」という文字を見ると「イングリッシュ」という音に引っ張られる。
つまり知識ゼロの状態に土台を築けるため、
「日本人は中国人より中国語(普通話)が綺麗にしゃべれる可能性がある。」
と考えるのである。
実際、私自身
「本当に外国人なんですか?」
「(発音が)悪くないですよ。」
「北京のアナウンサーみたいです。」
と言われたことがある。
お世辞でも褒められれば嬉しいし、何より継続して学習する意欲が湧く。
中国語を学習する場合は、まずきっちりと発音を押さえることをオススメする。